2011年06月08日
粉ミルクプロジェクト・第2弾!
東北の震災からもうすぐ3ヵ月。
支援の偏りは、まだあるようです。
新しい命の誕生もあります。
南三陸町支援の様子&地元支援者 杉田史さんのお話part 1
南三陸町支援の様子&地元支援者 杉田史さんのお話part
震災の当月、友人から必要なところに直に必要な物資を届ける情報と機会をいただき
オカンの立場から粉ミルクを被災地にへと呼びかけをし、
みんなの気持ちを届けました。
第2弾の記録⇒ 「粉ミルクが足りない」
「粉ミルクプロジェクト・報告」
前回、急な呼びかけだったため、買出し時に間に合わず
「次回の足しに」と預けてくださったお金が計2000円。
そして、また送るときは声をかけてと言ってくれた方たちもいるし。。。
日本ユニバさん震災際策チームのサイトの
被災地へ届けてほしいリストに
粉ミルク・離乳食と載ってました。
なので、また、おくります!
その時その時、必要な物資は移り変わるので、
今回もスピード優先です。
明日午後から買出しに行こうと思います。
「私も500円!」と賛同してくださる方、ご連絡ください。
私が先に立て替えることも可能です。(高額は無理ですが。。。)
明日、買出しの前に希望支援物資をチェックして
品目が変わっていた場合は、その時点で必要とされるものを送ります。
今回は、宅配便で送ろうと思います。
送料は私の協力分担とします。
よろしくお願いします。
支援の偏りは、まだあるようです。
新しい命の誕生もあります。
南三陸町支援の様子&地元支援者 杉田史さんのお話part 1
南三陸町支援の様子&地元支援者 杉田史さんのお話part
震災の当月、友人から必要なところに直に必要な物資を届ける情報と機会をいただき
オカンの立場から粉ミルクを被災地にへと呼びかけをし、
みんなの気持ちを届けました。
第2弾の記録⇒ 「粉ミルクが足りない」
「粉ミルクプロジェクト・報告」
前回、急な呼びかけだったため、買出し時に間に合わず
「次回の足しに」と預けてくださったお金が計2000円。
そして、また送るときは声をかけてと言ってくれた方たちもいるし。。。
日本ユニバさん震災際策チームのサイトの
被災地へ届けてほしいリストに
粉ミルク・離乳食と載ってました。
なので、また、おくります!
その時その時、必要な物資は移り変わるので、
今回もスピード優先です。
明日午後から買出しに行こうと思います。
「私も500円!」と賛同してくださる方、ご連絡ください。
私が先に立て替えることも可能です。(高額は無理ですが。。。)
明日、買出しの前に希望支援物資をチェックして
品目が変わっていた場合は、その時点で必要とされるものを送ります。
今回は、宅配便で送ろうと思います。
送料は私の協力分担とします。
よろしくお願いします。
Posted by shoko at 14:37│Comments(4)
│オカンの日々
この記事へのコメント
くま隊長
ありがとうございます!
ありがとうございます!
Posted by shoko at 2011年06月09日 01:04
賛同します。よろしくお願いいたします。
Posted by くま。 at 2011年06月09日 00:02
es355さん
貴重な情報ありがとう。
電話で、いただいたアドバイスも助かりました。
ルートをよくよく考えてみます。
貴重な情報ありがとう。
電話で、いただいたアドバイスも助かりました。
ルートをよくよく考えてみます。
Posted by shoko at 2011年06月08日 22:52
この動画で杉田さんがおっしゃってるように、
「支援」といってもなかなか難しい側面が確かにあります。
例えば彼女の住んでいる登米市に住居があって被災して、登米市の避難所に居る人、志津川(南三陸町)に家があったけれども津波で流されて登米市の避難所に居る人、両方がおられます。
しかも同じ総合運動公園の中の別の施設にそれぞれいるわけです。
で、物資の状況もそれぞれ違って必要な物も違う。
物資を乗せるルートが違えば思うところには届きません。
例えば上記の場合、志津川の人に届けたいと思って登米市の役場に物資を持って行っても、同じ登米市内にありながら志津川の避難所に届かないのですわ。
志津川の属する南三陸町役場は役場自体が流されたため、南三陸町内の山の中にある「ベイサイドアリーナ」の敷地内にプレハブの仮庁舎があるのでそこが受付窓口になる、というわけです。
この状況下で、いまだにタテ割でなけりゃ動かない部分が残っています。
てなわけで、現地地元のそういった事情を知る支援ボランティア経由で物資を流すと、ピンポイントに必要なところへ直接届く事になります。
また、避難所に居る間はある程度行き届いていた事が、仮設住宅に引越した時点でプツンと切れてしまって、再び困る、というようなこと。
「再孤立化」といいますけど、部屋に入ってしまうと情報が出てこないし入っていかなくなるんですね。
ここでも地元の人の役割が大事になってきます。
僕は3月以降、日本ユニバ経由でいろいろな事を知る事ができたし、実際いわき市で2日間物資運搬もしました。
結論として言えるのは「選択肢はいろいろあって、どれかひとつが全てではない。いろいろな窓口があってそれぞれ特化した動きもしているので、充分しらべて納得した上で物資や資金を送る検討をして欲しい」という事です。
まだまだ現地への支援は必要です。
特にボランティアの数は、減ってきています。
今までできていた事ができなくなっている団体もあります。
継続的な活動をしてくれて、嬉しく思います。
「支援」といってもなかなか難しい側面が確かにあります。
例えば彼女の住んでいる登米市に住居があって被災して、登米市の避難所に居る人、志津川(南三陸町)に家があったけれども津波で流されて登米市の避難所に居る人、両方がおられます。
しかも同じ総合運動公園の中の別の施設にそれぞれいるわけです。
で、物資の状況もそれぞれ違って必要な物も違う。
物資を乗せるルートが違えば思うところには届きません。
例えば上記の場合、志津川の人に届けたいと思って登米市の役場に物資を持って行っても、同じ登米市内にありながら志津川の避難所に届かないのですわ。
志津川の属する南三陸町役場は役場自体が流されたため、南三陸町内の山の中にある「ベイサイドアリーナ」の敷地内にプレハブの仮庁舎があるのでそこが受付窓口になる、というわけです。
この状況下で、いまだにタテ割でなけりゃ動かない部分が残っています。
てなわけで、現地地元のそういった事情を知る支援ボランティア経由で物資を流すと、ピンポイントに必要なところへ直接届く事になります。
また、避難所に居る間はある程度行き届いていた事が、仮設住宅に引越した時点でプツンと切れてしまって、再び困る、というようなこと。
「再孤立化」といいますけど、部屋に入ってしまうと情報が出てこないし入っていかなくなるんですね。
ここでも地元の人の役割が大事になってきます。
僕は3月以降、日本ユニバ経由でいろいろな事を知る事ができたし、実際いわき市で2日間物資運搬もしました。
結論として言えるのは「選択肢はいろいろあって、どれかひとつが全てではない。いろいろな窓口があってそれぞれ特化した動きもしているので、充分しらべて納得した上で物資や資金を送る検討をして欲しい」という事です。
まだまだ現地への支援は必要です。
特にボランティアの数は、減ってきています。
今までできていた事ができなくなっている団体もあります。
継続的な活動をしてくれて、嬉しく思います。
Posted by es355 at 2011年06月08日 16:49
スパム防止のため、コメントは承認制にさせていただきました。